「 自らの生き方を問うことの意味 」
今回のおススメ本紹介者は人間開発学部長の田沼茂紀教授です。
田沼先生からのメッセージ
読書は心の栄養、いつも寄り添う人生のガイドです。学生時代に真剣に向き合った本は、そこから学んだ事柄が身体に染みついて一生涯忘れることはありません。ありがとう1970年代思想の時代!!
タイトル | 著者 | 出版社 |
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読まずに死ねない哲学名著50冊 | 平原 卓 | フォレスト出版 |
生きるということ | エーリッヒ・フロム/佐野哲郎訳 | 紀伊國屋書店 |
脱学校の社会 | イヴァン・イリッチ/東 洋・小澤周三訳 | 東京創元社 |
100万回生きたねこ | 佐野洋子作・絵 | 講談社 |
人生はニャンとかなる! | 水野敬也・長沼直樹著 | 文響社 |
読まずに死ねない哲学名著50冊
田沼先生の一言
「哲学」と聞くと、難しくて分からないといった印象をつい抱きがちです。でも、哲学とは人間が生きることそのものなのです。「自分はこれまで、どう生きてきたのだろう。」「自分はこれからどういきたいのだろう。」「そもそも生きることって何?」等々、誰もが日常的に思っていることを少し論理的に論じたのが哲学です。本書は哲学の系譜に沿って、分かり易く、誰もが気軽に読めるようにまとめられています。是非、皆さんも自分と対話しながら哲学してください。
生きるということ
田沼先生の一言
人は誰しも、人生の折々に「自分はどう生きるべきなのか?」とふと考えます。この難問について、社会心理学者のフロムは人間の生き方を「持つこと」と「あること」の二つの基本様式に分けて考えました。一つ目の「持つ様式」とは、物を持つことを自己の存在価値であることとして同一視する捉え方であり、「ある様式」とは何ものにも執着せずに絶えず自己成長しようと生きる態度です。これからの変化の激しい不透明な時代に生きる私達にとって、「生きるということ」を考えずには済まされません。
脱学校の社会
田沼先生の一言
文明批評家であるイリッチは、「人はなぜ学校へ行くのか?」と今日の学校教育制度を真っ正面から見据えて問いかけます。何と、本書の第1章は、「なぜ学校を廃止しなければならないか」というショッキングな見出しです。イリッチは社会制度成立過程と目的との区別が曖昧になると、学ぶことと進級や卒業資格を取得することとが混同され、本来的意味としての学ぶことが「卒業」といった結果に目的がすり替えられていることを批判します。本学で学ぶ皆さんも、もしかしたら同様なのかもしれません。
100万回生きたねこ
田沼先生の一言
100万回も死んで、100万回も生きた猫のお話です。王様、船乗り、手品使い、どろぼう、おばあさん、小さな女の子、100万人の人がその猫を可愛がり、100万人の人がその猫が死んだ時に泣きました。でも、猫は1回も泣きませんでした。死ぬのなんか平気だったのです。でも、野良猫になって雌猫に恋をし、自分の大切な家族を持つと猫は愛する者を失う悲しみを知るのです。ある日雌猫が死んでしまいました。その猫は昼も夜も泣き続け、最後には自分もその後を追うように死んでしまいます。でも、もうかつてのように決して生き返りはしませんでした。
人生はニャンとかなる!
田沼先生の一言
サブタイトルは、「明日に幸福をまねく68の方法」です。頁を捲ってみると、様々なポーズや表情の猫ちゃん達が沢山登場します。方法12では、耳だけを残した食パンに顔を突っ込んだ猫が「たくさんの『耳』を持とう」と語りかけます。そして、その傍らには古代ギリシャの哲学者ゼノンの言葉、「自然は人間に一枚の舌と二つの耳を与えた。だから人は話すことの二倍だけ聞かねばならない」と添えられています。何と含蓄のある言葉でしょうか。聞き耳を立てれば、人生はニャンとかなる!!